死亡放送事件

 1981年3月13日深夜、ニッポン放送の「吉田拓郎のオールナイトニッポン」で、吉田拓郎は風邪による発熱と胃けいれんで急遽出演できなくなった。代役を務めたその日の宿直勤務のアナウンサーとディレクターが「何か面白いことをやろう」と発案し、「吉田拓郎死亡放送事件」なる出来事が起きた。テーマ曲は葬送行進曲に替わり、「特別番組吉田拓郎さんをしのんで」というテーマで代役のアナが進行をした。番組中死んだとは一言も言わなかったものの、「自殺の詩」や「どうしてこんなに悲しいんだろう」等、追悼色一色の放送にリスナーの問い合わせの電話は鳴り続け、マスコミも駆けつける大騒ぎに。約30分後に「これは冗談です」と言った後、本当の事情を説明し、自宅で療養中だった拓郎と電話をつないでやりとりしはじめたが、今度は抗議の電話が殺到、翌日の新聞にも「行き過ぎた深夜放送」「悪いシャレ」などといった記事が出た。

 後にとんねるずがこのジョークをテレビに持ち込んで、やはり顰蹙を買うこととなる。

 1991年10月31日、フジテレビ系列で放送されたバラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」で、冒頭から『緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…』と題し、木梨憲武が死亡したという設定で、生放送の追悼特番を模したドッキリを放送した。木梨の大きな遺影とそれを取り囲むたくさんの菊の花をバックに、石橋貴明とアナウンサーの野崎昌一が深刻な気配で会話し2分半ほど経過したところで、緑のジャージを着た木梨が現れるというシュールなコントであった。放送中や番組終了後には、「本当ですか!?」との質問や「ふざけるな!」との抗議の電話が約800件にも上った。盲腸により木梨が入院してOAするネタが無かったことからこのドッキリが企画されたが、多数の菊の花と木梨の写真を配した大きな祭壇を組んだ追悼セット、暗いBGM、現役アナウンサー出演など、あまりにも悪ふざけが過ぎるとの声が多かった。また木梨自身も、親戚のおばあちゃんにこっぴどく叱られたという。なお、このドッキリでは通常では追悼特番で用いられる「亡くなられました」という言葉は一切使われておらず、「信じられない事になってしまいました」とあくまでも彷彿させる程度の言葉を用いていた。





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