ジプシー・クイーン


 1986年4月8日、レコード大賞新人賞の受賞者で“ポスト聖子”の呼び声も高かったアイドル、岡田有希子が所属事務所であるサンミュージックのビルの屋上から飛び降り、突然の死を遂げた。
 それから岡田有希子の霊を目撃したという証言が数多く報告されるようになった。その中で最も有名なのフジテレビの歌番組「夜のヒットスタジオ」に彼女の姿が映ったという事件であろう。



 1986年6月18日、フジテレビの歌番組「夜のヒットスタジオ」で、「歌っている中森明菜の背後に、ワンピース姿の岡田有希子らしき霊が立っているのをはっきりと見た」という内容の問い合わせ電話がフジテレビに殺到した。その後多くの新聞やワイドショーなどがこの問題を取り上げるなど日本中を巻き込む騒ぎとなった。

 岡田有希子の霊はなぜ夜ヒットのスタジオに現れたのか…。ある噂によると、それはこの時に中森明菜が歌っていた曲『ジプシー・クイーン』が原因であるといわれる。

 『ジプシー・クイーン』はこのような歌詞から始まる。

百二十五頁(ページ)で 終わった二人

燃える愛の途中で Ah すべて

Wine色を染める 重い空に嘆き

アスファルトのBedに ため息こぼれる

 なぜこの歌が岡田有希子と関係があるのだろうか。歌詞を検証するとこうなる。

百二十五頁(ページ)で 終わった二人【飛び降りたのは12時5分】

燃える愛の途中で Ah すべて【自殺の原因は俳優の峰岸徹との破局といわれている】

Wine色を染める 重い空に嘆き【飛び降りて、地面をWine色、つまり血の色に染めた】

アスファルトのBedに ため息こぼれる【アスファルトの地面に激突し、脳が飛び散った】

 このように、よく見ていくとこの歌の歌詞は岡田有希子の死の状況に恐ろしいほど酷似している。おそらくはこの自分の死を歌ったかのような歌詞に呼び寄せられ、岡田有紀子の霊は夜のヒットスタジオに現れてしまったのであろうか。

 実は『ジプシー・クイーン』は元々岡田有希子のものになるはずだったが、事務所の都合で中森明菜が歌うことになったという。驚くことに、『ジプシー・クイーン』がレコーディングされたのは岡田有希子が死んだ4月8日である。





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