ハイドンの頭蓋骨


 死後、遺体から頭だけが切り離されて、その頭部があちこちの人手に渡るという奇妙な事件があった。その「頭」の持ち主は、オーストリアの音楽家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンである。「交響曲の父」と呼ばれたハイドンは、ベートーヴェンやモーツァルトと並び称される偉大な音楽家である。


 ことの発端は、オーストリアの刑務所管理人であるヨハン・ペーターという人物が、ハイドンの墓を掘り起こし、遺体から頭部を切断して持ち帰ったことに始まる。

 ベーターは人の頭蓋骨をコレクションして、「骨相学」を分析するという趣味の持ち主で、ハイドン死亡のニュースを聞きつけると、天才と呼ばれた音楽家のの頭蓋骨をどうしても手に入れたくなった。そこで、ハイドンのパトロンだったエステルハージ王子の秘書・ローゼンバウムの協力を得て、ハイドンの頭部を入手した。

 ペーターは、頭蓋骨を持ち去り、ハイドンの天才性と脳容量の相関関係を研究し論文を書いたあと、丁寧に薬品処理を行なうなどして保存し続けた。ところが数年経つと、ペーターは骨相学に飽きてしまい、頭蓋骨をローゼンバウムに譲ることにした。彼の妻が熱烈なハイドンのファンだったからである。ローゼンバウム夫人は、ビロードで飾ったショーケースに頭蓋骨をおさめ、その横には銀盤に描かれたハイドンの肖像画を並べて玄関に展示し、誇らしげに自慢していたという。

 一方、ハイドンのパトロンだったエステルハージ王子はあるとき、ハイドンが生前、アイゼンシュタットに埋葬されたいと願っていたことを聞き、だったらそうしてあげようと、ハイドンの墓を掘り起こさせた。ところが、遺体に頭部がなかったため騒ぎになった。ローゼンバウムは、王子にバレるのが怖くなり、夫人に頭蓋骨を返すよう諭したが、夫人は手放さないと言い張った。焦ったローゼンバウムは、別人の頭蓋骨を調達して王子に見せ、ハイドンの頭蓋骨だと嘘をつき、事なきを得た。

 頭蓋骨は、その後も長い旅路をたどり、いったんはペーターのもとへ戻り、ペーターの死後は妻が主治医に贈り、その主治医はある男爵に贈り、さらに裁判にまでもつれ込んで、ウィーン市の所有となった。ようやく胴体のもとに戻されたのは、1954年のことだった。それまで、ハイドンが没した1809年から、じつに150年もの歳月が流れていた。

 その間には、ハイドンの頭蓋骨から不気味なうなり声が聞こえたり、夜中にカチカチ歯を鳴らしながら飛び回ったなどという怪奇現象もあったと伝えられている。頭蓋骨も、胴体のもとへ帰りたかったのだろうか。





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